2013年5月15日水曜日

みんなの党の代表と幹事長が不仲な件

以前からみんなの党の渡辺代表と江田幹事長の仲が悪いことは知られていましたが、参院選前に分裂するんじゃないかというくらい、本当に仲が悪そうにしています。

みんなの党が夏の参院選の神奈川選挙区に松沢元神奈川県知事を擁立することを決めました。

みんなの党は14日、国会内で役員会を開き、夏の参院選神奈川選挙区(改選定数4)に、前神奈川県知事の松沢成文氏(55)を擁立する方針を決めた。
松沢氏は民主党衆院議員を経て、2003年から神奈川県知事を2期務めた。昨年12月の東京都知事選に無所属で出馬したが、落選した。
前神奈川知事の松沢氏、みんなから参院選出馬へ

松沢氏は元神奈川県知事ですが、都知事選に出馬したり出馬を取りやめたりした経緯があり、「神奈川を捨てた」なんて言われる人です。
2011年の都知事選では結局不出馬、2012年の都知事選に出馬するも猪瀬氏に敗れました。
元々は石原氏の後継として、石原陣営の援護を受けるはずだった2011年、世論調査の結果が思いの外悪かった事で石原慎太郎が急遽出馬に転じたと言われています。
2012年には石原慎太郎の国政進出により都知事選があり、この時出馬していますが、石原慎太郎は副知事だった猪瀬氏を後継に。
一時は松沢氏を後継と考えていた石原慎太郎に見限られた形です。

石原さんの引退を見込んで、松沢さんが都知事選への立候補を高らかに宣言したのは3月1日。ところが、10日後に石原さんは4選出馬を表明する。松沢さんは「政治家として決断をした」と、カッコ良いセリフであくまで立候補する姿勢を見せたものの、それも束の間のこと。応援してくれるはずだった石原さんに「当選は難しい」とまで言われ、結局、その3日後、「大震災への対応」を言い訳に使って出馬断念に追い込まれた。わずか2週間のドタバタだった。
東京都知事選をチープに演出してくれた哀しい松沢さん

神奈川県知事を2期勤め、3選も確実と言われるなかで都知事選へ立候補すると宣言したものの、不出馬。
こんなこともあり「神奈川を捨てた」なんて言われることもあるようです。

今夏の参院選神奈川選挙区(改選数4)で14日、みんなの党から出馬することが決まった前神奈川県知事の松沢成文氏(55)。平成23年4月の前回知事選では3選が有力視されながら、ぎりぎりのタイミングで都知事選への転身を表明した経緯もあり、県政界からは「あきれた」と非難の声も聞かれた。
松沢氏をめぐる一連の擁立劇では、自民党県連会長の菅義偉官房長官が4月13日に横浜市内で会見した際、「常識的にはあり得ない。『それはない』というのが県民の思いではないか」と牽制(けんせい)していた。
さらに、出馬が正式決定したことを受け、同党県連幹事長の竹内英明県会議長は「神奈川県を捨てて都知事選に出た人が県の代表になれるのか。あきれてコメントのしようがない。県民の良識を期待したい」とばっさり切り捨てた。
みんな、松沢氏擁立 都知事転身図りごたごたも 神奈川


松沢氏のことはとにかく、わざわざ松沢氏を神奈川選挙区に送り出したのが渡辺代表です。
わざわざ、というのは神奈川でみんなの党は強いので渡辺代表が言うような知名度が高い候補にする事はないと思うのです。
ましてや、反発されそうな松沢氏をあえて選挙区に出す必要があるのか。

渡辺代表は14日、国会内で行った記者会見で松沢氏を紹介し、満足げな表情を浮かべた。渡辺氏は神奈川県を党発祥の地の一つとして重視しており、衆院議員、県知事を務め、実績のある松沢氏を「党勢拡大につながる候補」と持ち上げた。
みんな・江田氏「党に大きな亀裂」…松沢氏出馬
この松沢氏擁立に難色を示したのが江田幹事長。
松沢氏擁立は渡辺氏と浅尾慶一郎政調会長、塩坂源一郎県議団長らが主導したが、江田幹事長らが反対し、党内調整が難航。県内地方議員58人のうち、38人が松沢氏擁立の嘆願書を渡辺氏に提出すると、反対する11人が投票での決定を申し入れるなど、混乱が起きた。
みんな・江田氏「党に大きな亀裂」…松沢氏出馬


党内に派閥というものは建前上無いのかもしれませんが、渡辺派と江田派で分けると江田派の方が多い状況で、渡辺代表がそれをどうにかしたいようです。
江田氏は14日、国会内で記者団に対し、「神奈川は仲良くやってきたのに分断され、極めて遺憾だ」と選考方法を批判。
みんな・江田氏「党に大きな亀裂」…松沢氏出馬
そしてこの発言です。
江田氏のお膝元である神奈川はみんなの党が強いのに、あえて江田氏の意向をくまない渡辺代表。
「神奈川は仲良くやってきた」というのは神奈川は地元の江田氏に任せてきたのに、という事でしょうか。

さらに、この松沢氏擁立に先駆け、渡辺代表は党に選挙対策委員長を設けようとしました。
夏の参院選に向けた選対委員長の人事。4月2日、渡辺喜美代表が江田憲司幹事長を排除するように、浅尾慶一郎政調会長が選対委員長を兼任することを提案したのだ。
一般に、選挙の指揮を執るのは幹事長にとっての最大の仕事。立候補者に対する公認権を持っているうえに、党財政も管理しており、ヒト・カネ両面で幹事長の力が大きく働く。それだけに当然、江田氏の反発は激しかった。みんなの党関係者が話す。
みんなの党の内部抗争は激化の一途 江田派増殖で窮地に立った渡辺代表
この選挙対策委員長の件は江田氏がいない時を見計らって渡辺代表が独断で決定しようとしたこともあり、党内でも反発を受けその場では決定しませんでしたが、渡辺代表に近い浅尾氏が選挙対策委員長に就いています。

「渡辺代表のやり方が姑息でした。江田氏が地元・神奈川に戻っている間に、急遽、幹部会を開催して人事決定を図った。これに江田系の議員が異議を唱えて白紙に戻したものの、メンツを潰された渡辺代表が巻き返しを図り、江田氏の権限も維持する形で浅尾氏を新ポストにつけたんです。でも、これでは選挙に関する権限が二重化してしまう。今後の火種を残した形になりました」
渡辺vs江田バトルでみんなの党が分裂!?


参院選後にみんなの党が分裂なんて話もあるようですが、どうなることでしょう。


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