2014年1月24日金曜日

東京都知事選で宇都宮氏は予算の組み換えを主張するが、それは民主党が不可能であることを証明している

東京都知事選が公示されました。
恐らく、舛添要一氏が当選するでしょう。
私は比例代表は新党改革に投票していたくらいなので、舛添氏の当選は喜ばしいことですが、どちらかと言うと氏には国政選挙で戦って欲しかったので、参院選に出なかったことは残念ですし、地方の首長なら東国原氏はもう一度見たかったと思っています。

東京都知事選ではなぜか脱原発が争点の一つとされていますが、そこをフィーチャーした細川氏は恐らくコケるでしょう。
私は問題なく稼働できる原発はとりあえず動かすべきだと考えていますが、脱原発も考慮すべきだとは思っています。
脱原発の難しいところは、一つ止めたところで意味はなくて、全て止めなければいけないことと、原発が動いていないからといって危険性がないというわけではないところにあります。
なので、原発が動いていても動いていなくても万が一の危険性は変わらないし、万が一の危険を避けるべき行動は変わらないと思うので、問題ないものは動かすべきだと思うのです。
ただ止めることに体力を取られてしまっては、元も子もないと考えるからです。

脱原発はともかく、脱原発を掲げる一人の宇都宮氏が面白いことを主張しています。
宇都宮氏は「大規模開発の予算を組み替えて福祉に回せば、待機児童問題などを早く解決できる」と述べ、福祉予算を充実させる考えを示した。
防災・社会保障政策など訴え=舛添、宇都宮、田母神氏—都知事選
ここには書かれていませんが、75歳以上の医療費無料化も主張しています。

で、どうやってその費用を捻出するかと言えば、予算の組み換えです。
予算の組み換えで高福祉中負担を実現出来るとした党が政権をとりましたが、結果どうだったのでしょうか。
何も出来ませんでした。
埋蔵金があると言っていましたが、あったのでしょうか。

もしかしたら、宇都宮氏が主張するように、予算の組み換えで高福祉中負担が可能になるかもしれませんが、誰も可能だとは思わないでしょう。
それは民主党政権があったからです。
この辺は民主党が日本の政治にとどめを刺したと言ってもいいでしょう。
民主党は大いに反省すべきで、そろそろ反省を選挙に活かしてもいいかと思うのですが、擁立する候補はおじいちゃんになった細川氏でした。
負ける事がわかっていても蓮舫あたりが出た方が民主党の必死さが出て良かったのではないかと思いますが、誰も民主党の看板を背負いたくなかったのでしょうね。
年寄りは引退しろ!と言った小泉純一郎がおじいちゃんを応援するというのも変な話です。

脱原発を掲げる候補は今回落選しても福島や新潟県知事選に出馬してほしいものです。


2013年12月27日金曜日

安部総理の靖国参拝は正しい

安部総理大臣が靖国神社を参拝しました。
現職の総理大臣が靖国神社を参拝したのは戦後に限ると67回あるそうですが、そのうち何回が韓国の新聞の一面に掲載されたのでしょうか。
私はそれを知りませんが、韓国に詳しい方は是非数えて欲しいと思います。
さて、韓国の反応はともかく、アメリカやロシアまでが非難していると喜んでいる方もいますが、私は靖国神社への参拝はしたければしたらいいと思います。
思想信条があるので無理にでも参拝しろとも、参拝するなとも言えません。
憲法で保証されているのですから、人より権利にうるさい方々が文句を言うのも何か変な気がします。
ただ、日本国の内閣総理大臣となれば、私人としての参拝であっても文句を言う人の気持ちはわからなくもありません。
それは「国益に反している」という言葉を振りかざせば何でも正義に見えてしまうからです。
「国益に反する」と言われ、実際に国益に反しているのかどうか誰がわかるのでしょうか。
恐らく内閣総理大臣にもその影響はわからないと思います。
だからこそ、慎重であるべきだと言うのでしょう。
しかし、わからないから何もするなとなれば、本当に何も出来ません。
何もしないよりも、目的を持って行動する方がマシだということは私達は経験で知っています。
国益だがら何もするな!というのは、私には理解できません。
安部総理大臣がどういった目的があり、意思があり靖国神社を参拝したのかは、これからいくらでも説明するべきでしょう。
説明できるなら参拝は問題ないと思います。

あとは、靖国神社はA級戦犯が祀られているからダメだという話がありますが、A級戦犯も一兵卒も御霊として区別しているわけではないと思うのです、日本人の宗教観というか死生観として。
日本人は無宗教だけど神は信じる、みたいな事を言われます。
キリスト教徒やイスラム教徒など、そういった信仰のようで信仰が無いような日本人は理解し難いようですが、私達は何も不思議に思っていません。
寺も神社も教会も墓も優劣をつけません。
そこに祀らているものを神と呼ぶことに何も抵抗がありませんし、手を合わせます。
大多数の日本人がそうだと思いますが、それは世界的には、キリスト教徒やイスラム教徒には理解してもらえないかもしれません。
私達が手を合わせる事は必ずしも崇拝ではないことは世界に知ってもらう必要はあるでしょう。

しかし、日本人の宗教観、死生観が外国から理解できないからやめろというのは、侵略にほかなりません。
文化や生活様式の侵略に危機感を持つのであれば、それは戦前の欧米列強に対する危機感と同じでしょう。
東南アジアの植民地化や改宗を見て、欧米列強に対して抱いた危機感に近いのではないでしょうか。
外圧により日本固有の文化を否定することは、日本人に危機感を持たせる可能性があります。
固有の文化を否定されることに危機感を持つ日本人を保守とか右翼と呼ぶのであればそれは仕方がないことですし、呼べばいいでしょう。
しかし、世界的に見てもこれだけ独自の文化を持ち続けた国民が、独自の宗教観を否定された事に危機感を持たない事の方が私には不思議に思えます。